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書評 「頭文字D −THE MESSAGE−」


頭文字D...このマンガに最初に出合ったのはいつの頃だったかな。

最初に読んだストーリーはたしか援交のカノジョとモメて,ランエボのジムカーナ野郎とバトル中にエンジンブローして...って頃だから結構まだ最初の方ですよね。97年ごろ?

たまたま非常勤でバイトに行ってた病院の医局にヤンマガがあったんですよ。単行本も置いてあったから,きっと誰か熱心なファンの先生がいたんでしょうね。


当時おとーさんはジムカーナを引退して結婚,長男の誕生と共に大好きだったSW20も手放して...っていう「走り」から最も離れていた時期でしたから,「思い切り峠を走れる若いヤツはいいよなぁ」っていう憧憬と羨望をもってこのマンガを読んでました。

ただ,その後おとーさんは転勤を繰り返し,とうとう海外にまで行ってしまいましたので,その後のストーリーが気になりつつもこのマンガからはすっかり離れてしまいました。


そんな状態からもう一度このマンガを読むようになったのは,日本に帰ってきた2003年。

ちょうどその頃,頭文字D "Special Stage"というPS2用のゲームが発売されたんですが,このゲームは原作に結構忠実で,ゲームを進めることで原作のストーリーを追えるようになってたんです。このゲームを楽しみながら「ああ,そうだったそうだった,そういう話だったよなあ」なんて思ってるうちに,どうしても原作をもう一度読んでみたくなり,書店へ行って単行本をドサっと大人買いしてしまった,というストーリー(笑)。

もうその時点では単行本も30巻近くまで行っていたし,ヤンマガではゴッドハンドとのバトルが始まってた頃じゃなかったかな。ただ,単行本の方がまとめてストーリーを何度でも読み直せるので,この頃から読むのは単行本オンリーとなりました。

現在は単行本でちょうど40巻まで来てますが,おとーさんの本棚にはもちろん全巻揃ってます。何度も何度も繰り返し読んでるんで,だいぶ装丁はくたびれてますが(笑)。


・・・・・・

そんなイニDを何度も読み返してるようなファンにお勧めなのがこの本。

「頭文字D −THE MESSAGE−」

講談社 933円(税別)


とにかく出演者が豪華。もうね,片山右京に,新井敏弘に,中島悟でしょ,ドリキンは当たり前として,我らが山野哲也までが峠バトルを熱く語ってるんだから買わないわけにいかないでしょ。おとーさんなんかね,書店で手にして3秒後にはもうレジに向かってましたよ(笑)。

上に挙げた人達だけじゃなくって,服部尚貴とか谷口信輝とかも出てるし,現役D1ドライバー達のインタビュー,ハチロクの開発者として有名なトヨタの原口氏とかロードスター・RX-7の生みの親であるマツダの貴島氏のインタビューなどなど盛りだくさん。そんなみんなが寄ってたかってクルマと峠とイニDの話をしてるんだからね...もう何度読んでも飽きない。


個人的に特に興味深いのは,新井敏弘や山野哲也がそれぞれ,イニDに出てくるテクニックや走りを実際のラリーやジムカーナ・レースの世界と絡めて解説してる部分。

フロントタイヤだけ側溝をまたいでインを走るって,マンガの中だけじゃなくってトップラリーストは実際にやってるんですねえ(さすがにFF車じゃやらないだろうけど)。そんな新井さんでも「ブラインドアタック」は「これは現実にはムリでしょう」とサジを投げてます(笑)。

山野哲也はやっぱり縁石にホイールの内側をひっかけて「ミゾ落とし」をやってるらしい(笑)。いや,やってるだろうなって思ってたけど。「コースに毛虫がいても避ける」とか,意外に「左足ブレーキは使わない」とか,興味深い話がいっぱいだし,コースの解説も2速で何回転とか細かいよ,さすがにこの人は(笑)。やっぱり神様だ。


他にもね,出てる人みんな,「クルマ」と「走り」が大好きなオッサンばっかり。本当にクルマで走るのが好きなんだぁぁぁ〜という思いがにじみ出てる。ここまで本当の走り屋に愛されるっていうのは,やっぱりこのマンガが,クルマで走るのが好きなんだぁぁぁっていう思いでもって描かれてるからなんでしょうね。

改めて1巻からまたこのマンガを読み直してみたくなりました。


・・・・・・

さて,ほめ言葉ばかり書きましたが,実はおとーさん,この本「頭文字D −THE MESSAGE−」の中でどうしても気に入らない部分があります。それは,

脳科学者・米山公啓に聞く「走り屋たちの脳の働き」

精神科医・名越康文に聞く「走り屋の心理」


このお2人の項。

いや,このお2人に個人的な恨みはありません。それぞれ有名な先生ですし,他にもエッセイや評論もたくさん書かれていて,中にはおとーさんも面白いと思ったものがあります。

でもね,この本の中でこの先生方が言われていることは「お前らぜんっぜん分かってねえな」っていうぐらい外してる。外しまくってる。それでも名越先生の方はさすがに精神科医で,まだ走り屋の心理を「理解しよう」というキモチは感じられる。でも米山先生の方はひどいな。おとーさんは不快感を通り越して激しい怒りを感じました。


実はね,おとーさんの本職は,知ってる人は知ってると思うけど「精神科医」なんですよ。しかも何年か前まで自分も大脳生理学の研究を一生懸命やってました。だからこの先生方はいわば「同業者」です。まあ,おとーさんは大学の助教授にはなれませんでしたし,本の執筆依頼も来ませんし,だいぶレベルの低い同業者ですが(爆)。

でもね,だからよけいにね,自分が走り屋でもないくせに想像と憶測と知識だけで知った風なことを言うな!って思ってしまうんですよ。


以下,いくつか本文を引用しながら,このおとーさんの怒りをみなさまにも共有していただこうかと思うんですが(笑)。

まず,米山先生曰く,

「脳内物質でいうとスピードが好きな人というのは,セロトニンの分泌が多いタイプなんです」
「リスク追求型。危険を追求してストレス解消するタイプ」
「逆に,セロトニンの分泌量が少ないと気が弱くなって,ひどい場合には鬱病になってしまう」
「(そういう人は)スピードに対しても怖いと感じるから,安全運転をしようと思い,それが行動に現れるわけですね」


( ´∀`)/ センセー! 質問です!

峠道を120ピー km/hで走るのが大好きだけど,80km/hのジェットコースターは怖くて死にそうになる私の脳内のセロトニンは多いんでしょうか少ないんでしょうか?

( ´∀`)/ センセー! もう一つ質問です!

私は名阪Cコースの外周が怖いんですが,競技前にコッソリSSRI(抗うつ薬)をのんでシナプス間隙のセロトニン濃度を高めたら,外周のS字が怖くなくなって0.5秒タイムが縮みますか?


...ってなクダラナイ質問を作るまでもなく,みなさん米山先生の間違いが分かりますよね。


そもそも「走り屋=スピード好き=リスク好き」っていう発想が「走り」を分かってない
全然分かってない。


誰がわざわざ「リスクを求めて」走るんですか。走り屋はみなバカですか。全員超リスクテイカーですか。

いや,そりゃ中には単にスリルを求めて,スピードを出すだけが目的で峠を走るバカもいるかもしれない。でもそんなヤツは3日目には事故って峠からいなくなるし,そんなバカを誰も「走り屋」とは呼ばない。


しかも「セロトニンの分泌量が少ない=うつ病」というのも間違い。正確に言うと,部分的には間違いじゃないけど,うつ病はそんなシンプルなモンじゃない。他のいろんな物質もからんでるし,単に伝達物質の多い少ないの問題じゃなく,レセプター側の密度や感受性,レセプター以後の細胞内伝達系の異常などいろんな事象がからんでいることが明らかになってる。しかもそれらが単純に同時進行するわけでもない。いかに素人相手とはいえ,なんという乱暴な話をするお医者さんなんでしょう。

っていうか,じゃあ,うつ病の患者さんはみな怖がりで安全運転なのか? そうなのか?
抗うつ薬をのんでセロトニンの量が増えたら,怖がりじゃなくなるのか?
ああ,アホくさ。


その次はドーパミン系のお話。

「ドーパミンが分泌されることによって『気持ちが良い』と感じる」
「難しいコーナーを自分のイメージ通りにクリアできたときには,それが達成感につながる。そんな瞬間にもドーパミンが分泌される」
「ただ,実際にクルマに乗って走り出すと,変な話,飽きてきたり楽しさも減少する。<中略>ドーパミンが枯渇してくる」
「クルマを降りた段階では,ある種の達成感はあるでしょうけど,気持ち良い状態ではないと思うんです」
「でもまた快感を味わいたくなるから走る。その繰り返しですよね。」
「極端な話,中毒なんですよ。スピード中毒」


いやもう本当に,変な話,極端な話,ですよね(笑)。

おとーさんは一晩中,あるいは1日中走っててもクルマに乗ってると「気持ちが良い」と感じるんですが,ドーパミン無限人間なんでしょうか。ドーパミンが枯渇しないんでしょうか。そもそも脳内のドーパミン系の神経経路って複数あるんですが,どの系のドーパミンが枯渇するっていうんですか? 本当にそれ,枯渇するんですか?

「ある種の達成感はあるでしょうけど,気持ち良い状態ではないと思うんです」って勝手に思ってて下さい。走り終わって峠の駐車場でクルマを降りた瞬間が結構気持ち良いんですけど。

それにね,いい加減その「走り屋=スピード好き=リスク好き」っていう馬鹿げた公式止めませんか。私達,雪道だったら30〜40km/hでも楽しくってしょうがないんですけど。決して雪道を120km/hで走ろうとは思わないし,そんなの怖くってチビってしまうんですけど。


その後,米山先生はパープルシャドウの「神」2人をして,「(年をとると)だんだん抑制がきかなくなるというかね(笑)。昔感じた快感の記憶を,また得たいってことだと思うんです」とのこと。

記憶っていうかね...今,快感なんですよ。45歳になっても。たぶん60歳になっても。何でわざわざ「快感記憶」にするんですか? 走る快感を何で年齢に結びつけようとするんですか? いくつになったって走り屋は走ることが快感なんですよ。しかも年をとって脱抑制って,そりゃ認知症の人の話でしょ。ある程度以上の年齢の走り屋はみな認知症ですか,そうですか。言ってることが無茶苦茶ですな。先生が脱抑制なんじゃないっすか?


その他にも,片山右京が「レース中に300km/hでコーナーリングして初めてドキドキする」っていう話で,その「ドキドキする」と単純な心拍数の話は別なのに(F1パイロットのレース中の心拍数はマラソン選手の競技中の心拍数に匹敵する)しっかり混同してるし,トップレーサーの生来の資質を「そもそもスピードへの恐怖が極めて少ないのかも」ってことにしてしまってる。

だからね,スピードが怖くないのは単なるバカですよ。
そんなものがトップレーサーになる資質なんかじゃ「絶対に」ない。

分かってない。全く分かってない。分かってないにもほどがある。

このマンガの中には「怖いのをガマンして攻めたってちっとも上手くも速くもならない」「恐怖を克服することが速くなることではない」って何度も何度も描いてあるじゃないですか。ホントにこのマンガをちゃんと読んでるんですか? ロクに読まずにしゃべってるんじゃないですか?

トップレーサーが290km/hでコーナリングしても怖くないのは,290km/hだと余裕を持って走り抜けられるクルマと技量と自信があるからで,290km/hが「怖くないから」走り抜けられるんじゃ絶対にない。だからこそ,そんなトップレーサーでも,ほんの少しコーナリングスピードが上がってリスクが数%上がっただけでもドキドキするんじゃないか。


おとーさんは「脳科学」っていう言葉が大嫌いです。
「脳科学者」って名乗る人も,基本的に嫌いです。

中にはオリジナルでユニークな研究を地道にやってる人もいます。でもね,そういう他人の地道な研究論文のアブストラクト(概略)だけ斜め読みして,自分に都合の良いところだけツギハギして,「いかにも」なことを言って知ったかぶりをしてる人が多いんです。

米山先生ご自身が「脳科学」についてどのくらいのオリジナルな研究業績をお持ちなのかは知りません。でも「走り」について語る資格はお持ちでない,とおとーさんは思いますね。


・・・・・・

次は名越先生。

こちらはさすがに精神科医らしく,「走り屋の心理」について「理解しよう」という意図は感じられる。でも何か...やっぱり外れてらっしゃる。違うよ,それ。

名越先生は走り屋の心理の根底を「自由への欲求」と表現している。
少し引用してみると,

「スピードに魅せられた人たちは,その自由という感覚にひたすら惹かれている人たちに見えるわけです」
「(自由とは)他人が介在しない,一人だけの世界ということなんです」
「クルマのコックピットのなかではまったく一人になる。唯我独尊じゃないけど,たった一人の境地,世界へと入っていく。そこでは『俺だけ』『私だけ』という純粋な快感があるわけです。その快感こそ純粋な自由の感覚」
「コックピットに身を置き,競争の中で感覚が鋭敏に研ぎすまされていて普段の生活ではあり得ないほど集中力が増す。そんな非日常の世界に入り込んだときに人間は,この宇宙でたった一人の存在になったような感覚になると思うんです。それがつまりは男が求めてやまない自由の感覚」


いや,でもね,先生。

峠でバトルしてる時にそんな「自由の感覚」にひたってたら,インを差されてコーナー3つで負けになりますけど。

いくつかのクラスが混走してるサーキットレースなんかで,そんな「一人だけの世界」に浸ってたら,きっとそこらじゅうで接触しまくってごっつぅ迷惑野郎なんですけど。


先生の言わんとしている感覚は分からないでもない。何かに没入しきって無我夢中になっている状態って,孤独だけど孤独じゃないような,「我」が「無」であり同時に「全」でもあるような,そういう非日常的な状態って,あるにはあると思う。

でもそれは当に「非日常的」な状態であって,そんなにしょっちゅう訪れるものではない。
しかもそれは,何か別のモノを求めて必死で走り込む中で現れる「境地」であって,それ自体を目的として,それ自体を求めて毎日走り込むようなもんでもないと思う。

走り屋は最初からそんな抽象的なものを求めて走ってるわけではない。

もっと現実的なもの,例えばマシンコントロールの楽しさとか,ライバルとの勝負とか,ストップウォッチのタイムであるとか,パーツのインプレ・セッティングの煮詰めとか,仲間とのコミュニケーションとか,そういうもっと現世の具体的なものを求めて走ってるんじゃないかな。あるいはもっと単純に,「クルマを走らせること」そのものが楽しくって走ってるんじゃないかな。

名越先生の言うような,「自由の感覚」をストイックに追い求めて一人でコツコツ走り込むような走り屋さんも,どこかの峠にいるのかもしれないけど,おとーさんにはどうも素人が想像で作り上げた「お話の中だけの」カッコイイ走り屋像に思えてしまうんですけどね。


また,名越先生も米山先生と同じく「恐怖を乗り越える」ことの重要性を述べてます。

「(自由の境地について)ある種,一時的な悟りの状態に近いものでしょうから,それは誰もが得られるものではないでしょうね。それを得るためには,やはりそれなりの代償を支払わないと。たとえば,死の恐怖を乗り越えることであるとか」

だーかーらー。

峠で死の恐怖を乗り越えちゃったら,ホントに死んじゃうでしょうが。分からないのかな。

経験を積んだ走り屋が峠をものすごい速さで駆け下りられるのは,「恐怖を感じない」からじゃなく,余裕で駆け下りられるクルマと技量と自信があるから。恐怖を感じる理由がないから,結果的に恐怖を感じなくなるだけ。それでもそういうドライバーはちょっとした路面の変化でも敏感に恐怖を感じて,いざという時には躊躇なくさっと減速するはずだよ。だから長く走り続けられるんだよ。

チーム・スパイラル・ゼロの池田さんも「恐怖感をかかえたまま走っちゃダメだ」って言ってるじゃないですか。ちゃんと読んでないのかな。


走り始めの最初のうち,何が怖いのか,何が怖くないのかも分からないような状態では,恐怖心の精度が低いというか,誤差が非常に大きいので,クルマと腕のはるか限界内でも強い恐怖心を感じてしまうことはあり得ます。こういう場合は確かに,安全と分かっている状況下で少しずつ恐怖心に打ち勝って,どこまでが安全で,どこからが本当に怖がるべき領域なのかを学習する必要があります。いわば恐怖心の精度を磨くというか。

ただ,恐怖心が適切にはたらくようになれば,恐怖心こそが自分にとっての「限界」の重要なバロメーターになるので,その恐怖心を大きく乗り越えちゃったら即・クラッシュですよね。要するに「怖さ」は克服すべきものじゃなくって,上手に付き合い,手なずけるべきもの。


・・・・・・

ずっと以前のF1中継で,ドリキンとカーグラの編集長か誰かがダブル解説をやってて,よくドリキンが編集長と露骨にケンカしてたけど,あの時の気持ちがよく分かるなあ。俺は自分が走ってるんだ,走り屋なんだ,実際に走ってないお前に何が分かる! っていうあの怒り。

あの時は「ドリキンも大人げないなぁ,こんなヤツ放っときゃいいのに」って思ったけど,今初めて分かった。よーく分かった。おとーさんも声を大にして言いたい。

「走ってないお前に何が分かる!」



じゃあ,お前は分かってるのか。
走り屋の心理について,脳の働きについて,何か話ができるのか?
元・落ちこぼれ研究者がえらい先生に対してひがんでるだけじゃねーのか?

そう言われるかもしれません。

おとーさんは脳科学者なんかではありませんし,一応精神科医だけど,アカデミックポストは某大学の客員講師止まり。雑誌の掲載論文も日本語ばっかりだしIFなんかゼロっすよ(笑)。

でもおとーさんは現役のジムカーナドライバーであり「走り屋」です。
たぶん日本国内の精神科医の中でも現役の走り屋は少ないはず(笑)。
走り屋の心理について,おとーさんが書かねば誰が書く!

ということで,今後少しずつ「ドライビング・サイコロジー(略してドラコロ)」について,このdiaryの中で書いてみたいと思ってます。乞うご期待。


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