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さようなら,不惑インテ号


別れはいつも唐突に,でも後から考えると必然のタイミングで,やってきます。


もともとは,結婚のため中途半端な状態で諦めざるを得なかったモータースポーツの世界に何とか復帰して,どうしても手が届かなかった公式戦のポイントと表彰台をゲットする,これがおとーさんの夢であり人生の宿題でした。


しかし競技復帰どころか自分のクルマを持つことすらかなわず,忙しい日々の中でいたずらに積み重なっていく年齢と疲労と体脂肪。仕事でも様々な壁にぶち当たり,傷つき,夢破れ,うつ病発症寸前のくさりかけた中年オヤジ。


そんなさえないおとーさんの前に突如現れたのがインテグラ・タイプR,不惑インテ号でした。


初恋の彼女に生き写しの...いやいや,20代の頃,おとーさんにクルマの楽しさをとことん教えてくれた,また身をもっておとーさんにモータースポーツ参加のきっかけを与えてくれた,初代インテグラ,そのかつての愛車を彷彿とさせるような,そしてショップによってその高性能をさらに磨き込まれた色白ナイスバディの彼女は,十分すぎる戦闘能力を持っていました。


恋。

そう,おとーさんのこのクルマへの想いはまさに「恋」だったと思います。

くたびれ果て,40歳前にしてすでに棺桶に片足突っ込んだような状態だった中年男が,超イケてる美女に出会い,恋に落ち,彼女と二人三脚でモータースポーツに再挑戦する過程は,オトコとしての再生を果す過程でもありました(ヘタな映画のストーリーみたいです)。

それまで萎え萎えやった中年オヤジが,彼女に出会ってからというもの...毎日毎日必死で働き,月に100時間近い残業をこなし(リアル残業ね),その上に講演や講師依頼も断らず,これまで言いなりになっていた嫁様の圧制にはレジスタンス活動を展開,その忙しい合間をぬって筋トレに基礎練に汗を流し...ってオッサンすんごい元気やん!

そして実際の成績も,苦労の甲斐あって,1年目で何とか初ポイント,2年目で何とか6位入賞の常連入り。

そしてとうとうこの3月,彼女とともに,夢のまた夢だった公式戦での表彰台,しかもその頂上に立つことができました。40歳過ぎたメタボなオヤジでも,やればできるんじゃ!


...恋...そして夢。

彼女と過ごしてきたこの3年弱の月日は,ただひたすら恋心のままに駆け抜けて来た,夢のような時間でした。

・・・・・・

しかし,どこかで歯車が食い違ってしまったのでしょうか。夢のような幸福の時間の底辺には,不吉の予兆となる7度の低音が静かに流れていたのでしょうか。

次の第2戦で8位に沈んだおとーさんの心には焦りがありました。

夕鶴の主人公のオヤジが「もっともっと」と望んだように,舌きり雀のバーサンが一番でかい葛篭を選んだように,おとーさんの心にも「もっともっと」というドス黒い焦燥感がいつからかとり憑いていました。

膨れ上がる焦燥感は,いつの間にか心の中で大きな暗雲となって,彼女とともに過ごせる喜び,彼女に乗って走れる楽しさを覆い隠し,おとーさんの心を破局へと駆り立てます。


その日,どしゃ降りの雨の中,フロントのWTSの残り溝はほとんどなかったにもかかわらず,おとーさんは遮二無二走り込んでました。「もっともっと」と焦り,自分に足りない何かを見つけようとして躍起になり,そしてようやっと何かをつかみかけているところでした。

しかしその時,決定的な瞬間が訪れました。

2速全開から1速に落として大きく右に回り込むタイトコーナーの進入。

ブレーキングポイントが水溜り状態になっていることに気づかず,普通にフルブレーキング。その瞬間,免許取り立ての人でもよく知っている「ハイドロプレーン現象」が起こり,タイヤは完全にロック。ABSなんかついてませんから,こうなるともうなす術なし。コントロールを失ったクルマは真直ぐコーナー外側のコンクリートウォールにすっ飛んで行きます。

「あああああぁぁぁ〜」

ってな,情けない叫び声というか悲鳴をあげてたのを自分でも覚えてます。

もちろんステアは必死で右に切ってましたし,失ったブレーキコントロールを取り戻そうと最後までペダルを踏む力を加減しようとしました。でもあまりにも壁までの距離が近過ぎました。

・・・・・・

壁にぶつかった瞬間にエンジンは息絶え,2度,3度イグニッションをひねりましたが,もう二度と動き出すことはありませんでした。震える手ももどかしくシートベルトを外し,車外に転げ出て,ぶつかった左フロントを見て,直感しました。

「終わった...」

素人目にも,とても普通に直る状態でないことは明らかでした。エンジンがすぐに止まったということからも,ダメージが広範に及んでいるのは確実。

立っていることができず思わずしゃがみ込むおとーさんの頭にも肩にも背中にも,容赦なく大粒の雨が叩きつけてきます。両眼からは熱い涙がこみ上げてきて頬を伝い,雨粒と一緒になって路面をどこまでも濡らして行きます。

「終わりや...もう終わりや...全部終わったんや...」

42歳にもなって子供のように泣いている自分を恥ずかしく思う余裕もありませんでした。
心の奥底でいつもずっと恐れていた最悪の結末,初代インテグラを失った時の悪夢の再現,でもどこかでいつかこうなることを予測していたような,妙な「ほらやっぱり」という感覚。

突然やって来た終末に,頭の中は混乱したままで,何をどうしたらいいのかさっぱり分かりませんでした。ただ自分にとってとても大事な何かが確実に失われ,今はもうそれはないのだ,ということ,何かが変わってしまった,もう取り返しがつかないのだ,ということ,その事実だけがハッキリしたものとして認識されていました。

例えようもなく巨大な喪失感に押しつぶされたおとーさんは,力なくへたり込んだままで立ち上がれず,全身を激しい雨に打たれながら,いつまでも情けなくメソメソと泣き続けていました。

・・・・・・

その後,いろいろな方の手助けを借りて,何とかクルマをショップにまで運ぶことができました(本当にありがとうございました)。

社長のお診立ては,予想通り「廃車相当」とのこと。

壊れてるのはフロント周りだけなので,ボディーを直すことはできるが,エンジンやミッションのダメージを考えると余裕でインテをもう1台買える値段になってしまう,それならこのインテは廃車にして,部品を移植して新しくインテを作る方が現実的,とのことでした。

しかし不惑号にはまだローンが1年ほど残っている状態。とてももう1台インテを買うなんてことはできません。まして,いくら同じインテでも,それはもう不惑インテ号ではない。3年間苦楽を供にした彼女ではない。

終わりです。

人生の中で2度も「インテグラ」という大好きなクルマを廃車にするなんて...
サイテーだよ,アンタ。


さあ,そしてMy嫁さんの反応はと言うと。

さすがの嫁さんも,ここまで打ちひしがれたおとーさんをさらに叩きのめす気にはなれなかったようで,モータースポーツ自体は続けてもいいけど,とりあえずしばらくは休みなさい,次に復帰する時は「新車で」走りなさい,とのことでした。

そうです。ウチの嫁さんは大の中古車嫌いなんです(泣)。
そもそも不惑インテ号を購入する時にも,いくらO/Hやチューンされてるとはいえ中古車に新車並みのお金を払うことに猛烈に反対されましたから。

今回,不惑インテ号が3回も事故に遭ったあげく廃車になったのも,「ゲンが悪いから」とか「悪い霊がついてるから」とか冗談とも本気ともつかない調子でのたまいます(笑)。いや,少なくとも最後は100%おとーさんが悪いんですがね。

イヤだイヤだ,もう1台インテグラ買ってくんなきゃイヤだ,グレてやる,うつ病になってやる,仕事なんか辞めてやる...なんて大人気なくゴネる気も起こりません。いずれにせよ不惑インテ号はもう戻ってきませんし,それは100%自分のせいですから。


ミドル戦のシリーズポイントに関連して,非常にありがたいお申し出も受けましたが,地区戦や全日本クラスのドライバーならいざ知らず,自分のクルマも満足に走らせられないようなバカが他人様の大事なクルマを走らせられるわけがありません。お気持ちだけ(非常にありがたく)いただいておきます。かたじけないです。ありがとうございます。

・・・・・・

今回の出来事は,初優勝に飽き足らず,ドス黒い焦燥感に駆られ,分不相応なモノまでを求めて無理を重ねる中で起きたように思います。やはり「楽しく無理をせずに走る」という基本を忘れた報いなのでしょう。

自分へのペナルティーのつもりでもありますし,不惑インテ号のローン残債の整理もしなければなりませんし,今年いっぱいは競技は休みます。シリーズポイントはもったいないと言えばもったいないですが,もっと大事にすべきものを大事にしなかった報いですから,潔く諦めようと思います。

そして,来年以降に「新車で」ジムカーナ復活を遂げるべく,力とお金を蓄えようと思います。


このサイトに関しても,「クルマが無くなった以上,"Project"は継続不能」ということで閉鎖を検討していましたが,物好きな友人が強く継続を勧めてくれたことと,自分自身でも,復活までの心の支えになるかも,と考えて,続けることにしました。

走るクルマがないわけですから,クルマや競技のことについてはあまり書けませんが,いわゆるblog風の時事評論をするような柄ではありませんし,復活までの悪戦苦闘ぶりでも自虐的に(笑)ご披露して行こうと思います。


・・・・・・


3年間,おとーさんにいい夢を見させてくれた彼女は逝ってしまいました。

でも,おとーさんに何も残らなかったわけではありません。
たくさんの思い出と,数本のトロフィーと,金色のJAFメダル1つと...そしておとーさんに心身の健康を取り戻させてくれ,このサイトと多くのクルマ仲間を残してくれました。これらは彼女に出会わなかったら決して得られなかった,おとーさんの財産です。彼女がいなくなってもこれらの財産はなくなりません。

もう恋なんてしないなんて〜,言わないよ絶対〜♪ なんて歌がありましたっけ。

彼女が残してくれた財産を大切にしながら,何とかまたモータースポーツに復帰できる日を目指したいと思います。また熱い恋をしたいと思います。


さようなら,不惑インテ号。
そして,ありがとう,不惑インテ号。


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