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真夏の夜の物語 2013


暑いね;

まあ,いよいよ真夏だからしょーがないけど。


夏と言えば...カルピス!

うんうん,それもアリ。


でもやっぱり夏と言えば...怖い話!

これでしょう。


おとーさんは商売が医者ですから人の生き死にには日常的に関わってます。

また,特に専門が精神科ですから人間の精神の彼岸というか,非日常的な激しい恐怖とか憎悪,嫉妬,暴力,不安,絶望,興奮,幻覚,妄想,そういうおどろおどろしい領域が日常の仕事場です。

院生・助手時代は幻覚や妄想の脳内メカニズムの研究をしてましたし,留学時代は覚醒から睡眠状態への意識の推移の研究なんかをしてましたから,人間の感覚がいかに脆弱でいい加減なモノかもよく分かっているつもりです。

そういう世界で生きていると,大槻教授じゃないですが,世にいう心霊現象の大半は認知科学や心理学,物理化学などの自然科学の言葉で説明がつくように思われます。人間は自分の見たり聞いたりしたものを実在のものと判断しがちですが,実際には人間の視覚も聴覚も極めて多くのエラーを含んでおり,幻覚や錯覚というのは日常的に起こっていることなんです。


しかし。

それでもやっぱり説明のつかない,つきにくい事象っていうのもあるんですよ。


論理数学の世界に不完全性定理があり,量子力学の世界に不確定性原理があるように,科学が人間の営為の一つである限りそこに「完全」はあり得ません。さっき引き合いに出した認知科学や心理学なんかもまだまだ幼稚な学問で,「科学」として見ても粗雑でいい加減なものです。科学至上主義もまたオカルト主義と同じリスクを抱えているんです。

おとーさん自身も,どうにも科学的な説明のつけようのない不思議な体験を何度かしています。このサイトの中でもずっと以前,「真夏の夜の物語」と称しておとーさん自身が体験した不思議なお話をご披露しました。

真夏の夜の物語

続・真夏の夜の物語


今からお話しするのもおとーさん自身が若い頃にした,何とも奇妙で不思議な経験です。

認知科学や心理学でも説明がつきませんし,心霊現象とも言いにくいし,宗教的倫理に還元することもできません。何とも不思議としか言いようのない経験です...


・・・・・・

当時おとーさんは20歳。ある医大の2回生でした。

ちょうど頃は秋の学園祭シーズン。10月の末頃だったと思います。


医大というのはだいたい1学年100人前後と学生数が少ないため,学園祭などの際には交流のある近隣の府県の医大と合同でイベントをすることがよくあります。

おとーさんは軽音に所属してましたが,この軽音も隣県の医大の軽音と交流が深く,それぞれの大学の学園祭ライブの際には機材の貸し借りをしたり,いくつかのバンドが相互に友情出演したりしてました。

おとーさんのバンドもちょうど先方の学園祭ライブに出演することになっており,2-3日後に本番を控えたこの日は,リーダー格のおとーさん一人が夕方から先方の大学に乗り込んで機材の確認や当日のスケジュールなどを打ち合わせしてました。

向こうの大学の軽音連中も既にたいていは顔見知りです。みな音楽好きですから,機材の準備などをしながらもついついよもやま話に花が咲き,先方を辞した時にはもう夜の10時も回ってました。


晩秋のしとしと雨が降っており,暗い,寒い夜でした。


大きな国道を通って普通にさっさと帰れば良かったんですよ。下宿まで1時間もかかりません。

ところが何を思ったのかおとーさん,わざわざ北側をぐるーっと回って峠を越えて帰るルートを選んでしまったんですね。当時はまだ「走り」には目覚めてませんでしたが,とにかくクルマに乗ること自体が好きだったので,こういう意味のない遠回りとか寄り道ばかりしてたんですよ。

初めて通る道ではありません。何度も通ったことのある「走り慣れた」と言っていいルートです。途中で1車線〜1.5車線ぐらいの細い区間がある峠道ですが,一応国道としてナンバーの振られた道。

ほんのちょっとしたドライブのつもりだったんですが...それが「ほんのちょっと」では済まなくなってしまったんですよ。


峠道に入るまでの北上して行く区間で徐々に霧が出てきました。

しとしと降ってくる小ぬか雨だけでもうっとおしいのに,徐々に濃くなっていく霧がさらに視界を制限します。ヘッドライトを上げたり下げたりしますが,とうとう目の前は真っ白,それ以外は全て真っ暗になってしまいました。フォグランプなんて便利なものは格安で買った中古のパルサーには付いてませんでしたしね。

それでもまだ街中を走ってるうちは街の灯がありますし時々対向車も走ってきます。

しかし左折していよいよ峠道に差しかかってくると周囲は完全に真っ暗。街灯もなく,通りかかるクルマもなく,目の前に数十メートルの真っ白な空間がある以外,周囲は漆黒の闇です。

その後30年間,いろいろなところを運転する中で濃霧は何度も経験しましたが,運転歴の浅いその時点では間違いなく初めて遭遇する濃霧でした。今となってもあそこまでひどい濃霧にはお目にかかったことがないように思います。


最初は怖いとかいうより「チッ,しくじったな」という感じでしたが,何故か,徐々に,全身が粟立つようなゾワゾワする恐怖感が湧き上がってきました。道が真っ暗で危ない...そんな現実的な恐怖感ではなく,もっと根源的な「何かおかしい!」「何かヤバイ!」という種類の怖さです。

何か違う。いつもと違う。何かヤバイ感じがする。

カセット式のカーステからは確かキング・クリムゾンの「太陽と戦慄」か何か,結構おどろおどろしい音楽が流れてましたが,慌てて能天気なJ-POPの詰め合わせに換えました(笑)。それでも心の底から湧き上がってくるような,居ても立っても居られないようなジリジリした恐怖感が消えません。


とにかくこの状況から早く逃れたい。

その一心で先を急ぎます。

引き返そうとは思いませんでした。峠を越えてしまえばおとーさんの下宿がある市街地までは1時間もかからないぐらいの距離。引き返すよりは走り抜けてしまった方が早い。それに,なぜかどうしても,いったんクルマを停めてUターンをするというのが怖かった。立ち止まりたくなかった。

ベールが幾重にも重なりあったような真っ白な空間の中を必死で駆け抜けます。


まだ時刻はせいぜい夜の11時かそこらのはず。何だか時刻が気になってきます。

旧型でボロボロのパルサーにはアナログ式の時計がついてましたが,この時計もボロで針がどんどん狂ってしまうため,この頃にはもう時刻を合わせるのは諦め,長針も短針も全くあさっての勝手な時刻を指してました。仕方なく腕時計を見ようと思いましたが真っ暗でよく見えませんし,この状況で手元ばかり見てると非常に危険なので,結局,時刻を確認することはできませんでした。

もともと交通量のある道ではありませんが,それにしてもまだ真夜中という時間ではないのに全く他のクルマがいません。真っ白の闇の中を走るうちにどんどん現実感が失われていきますが,白いもやの向こうから時おり見慣れた速度制限の標識やカーブミラーが現れてくる時だけ,ここが現世なのだという感覚に引き戻されてホッとします。

道を間違ったのかな...いや,右に左に現れてくる峠道のコーナーには見覚えがあります。そんなに別れ道があるわけでもなく,いくら視界が悪くても迷うようなところではありません。

腹の底からこみ上げてくる悪寒と恐怖感を抑えつけるため,カーステのボリュームをグッと上げ,時々自ら大声を張りあげてJ-POPを歌いながら,とにかく先を急ぎます。ここは地獄だ。真っ白地獄だ。何かの拍子に地獄に迷い込んでしまったんだ。早く出よう。早く抜けよう。


真っ白な闇と格闘しながら必死で走るうちに,やっと峠の手前にある小さな集落にたどり着きました。少なくとも道が間違ってなかったことと,既に道のりの半分までは来ていることが確認できてホッとします。

後年ここには大きなバイパスのトンネルができるのですが,この時はまだ集落の中の細い道を通り抜けるしかありませんでした。離合が難しく行楽シーズンにはしばしば大渋滞になる場所ですが,この時には対向車はおろか猫一匹おらず,集落も濃霧の中,真っ暗闇にとけ込んでいます。


集落を抜けたすぐ後,道は峠を越え,市街地に向かってゆるやかに下って行きます。

まだ濃霧は続いており周囲はのっぺりとした白い闇に包まれていますが,それでも峠を下って行くに連れて徐々に見覚えのある建物,見覚えのある交差点などが白いベールの向こうから現れて来ておとーさんを勇気づけてくれます。

もうちょっと。もうちょっとで現世に生還できる。

そしてやっと待望の対向車のヘッドライトが前方にチラホラ現れてきた頃には,さしもの濃霧も少し薄れて来ていました。ずっとしとしと降り続いていた小雨も止み,やっと視界が開けてきました。


...助かったぁ。

心底,思いましたね。

自分の身に何が起こったのかは分かりせん。ただ,何とか現実の世界,日常の世界に戻って来れた,それが嬉しくて嬉しくて,安堵のあまり涙が出そうになりました。

街の灯が,交差点の信号が,対向車のヘッドライトが,あんなに有難いと思ったことはありません。

ああ,助かった。ああ,良かった。

あれはいったい何だったんだろう。あの尋常じゃない濃霧と腹の底からこみ上げる恐怖感は。

まあとりあえず,もう,こういうややこしい天気の晩に峠とか行くのは止めとこう。何か絶対ヤバかったよな,あれ。


下宿の近所まで帰ってきた時にはもう霧はほとんど晴れていました。

安心したら急に腹が減ってきた(笑)。そういえば晩メシもまだ食ってなかったよ。

まだ12時半か1時ぐらいだから近所のラーメン屋が開いてるはず。あそこでチャーハン定食くって,もう寝よう。明日は朝からドイツ語あるし。

先ほどまでのビビリまくってた自分が妙に気恥ずかしく,普段の行きつけの店で普段食ってる物を食って,とにかく一刻も早く普段の日常生活に戻りたかったのかもしれません。


しかし。


店の横の駐車場にクルマを停め...あれ? 店が閉まってる。

いつも深夜2時までやってるはずの学生街のラーメン屋。定休日なのかな...今晩だけ早じまいしたのかな...いや,いつも1時ぐらいに来て閉まってることなんてなかったんだけどな。

とりあえずクルマを下りて店の前まで行ってみますが,どうみてもがっちり店は閉まっていて,ついさっき閉めましたっていう感じでもない。しかも「年中無休」と看板にでかく書いてあります。


?????

事態が把握できないまま腕時計に目を落としました。







!!!!!!


腕時計の針はあり得ない時刻を指していました。

6時15分。




6時15分?????




...んなわけないでしょ。向こうを出たのが22時過ぎ。濃霧の中を必死で走ってたのが23時から24時ごろ。今はどう考えてもまだ24時半かせいぜい1時ごろのはず。


をいをい,腕時計まで壊れてしもたんかい(笑)。

もちろん,そう思いましたよ。


でもね,その時気づいたんですよ。

ふと見上げた東の空が,確かにちょっと明るくなってるんですよ。




!!!!!!


あり得ないあり得ないあり得ないあり得ない。
何で?何で?何で?何で?


ちょうどすぐ目の前に電話ボックスがあります(当時は携帯電話なんて便利なものはありませんでした)。飛び込んで受話器を取り,ガクガク震える手で財布から10円玉を取り出してカチャリと入れ,押したのは1・1・7。


聞き慣れた女性の無機質な声が現在の時刻を告げます。




午前6時,15分,20秒をお報せします,ピッ,ピッ,ポーン...




目の前にまたさっきの白い悪夢が拡がってきたように感じました。

受話器をガチャンと戻して,その場に倒れ込みそうになりました。

背筋に冷水をかけられたような,とよく表現しますが,まさに背筋がぞぞ〜っと凍りつきました。

腹の底からまたあの恐怖感がこみ上げてきました。全身に鳥肌が立ちます。

そうです。ラーメン屋は昨夜も普通に営業して2時に閉まったのです。今は朝の6時過ぎ。ラーメン屋は閉まっていて当然なのです。

6時間...6時間がどこかに行ってしまいました。




絶対にあり得ないことです。6時間も7時間もの時間が経っているはずがありません。

濃霧だから減速してたとはいえ,距離から考えて絶対に6時間も7時間もかかる道ではありません。普段は1時間半もあれば走れる距離です。しかも,途中の集落や峠をきちんと通ってますので,道を間違ってどこかでグルグル回ってたわけでもありません。

何より自分の記憶が,意識が,6時間も経過した事実を拒んでいます。自分の感覚では,絶対に1-2時間しか経過してないはずです。濃霧の中をビビリまくって必死でハンドル握ってましたので,決してボーっとしてたわけでもないし,寝てたわけでもありません。

そしてもう一つ,それほど時間が経過していない証拠として,カーステのカセットテープを途中で差し替えて,まだ表裏を一回りしてません。90分のテープですから,6時間も経過していれば3-4巡回してるはずです。途中でテープに合わせて歌ったりしてましたからよく覚えてます。

さらにもう一つ,それほど長時間走ってない証拠して,ガソリンも大して減ってませんでした。最初からガソリンは半分ほどしか入ってない状態でしたから,6時間もどこかを走り回っていれば絶対にフュエルメーターはゼロに近くなっていたはず。メーターは間違いなく,まだ半分をちょっと下回った位置を指してました。



6時間がどこかに行ってしまった。


いや違う...自分が6時間どっかに行ってたのか。


どこへ?


異界?



・・・・・・

今でも分かりません。いったいあれは何だったのか。


しばらくの間,その道を通ることは避けてましたが,2-3ヶ月経ってから天気の良い昼間におそるおそる通ってみたところ,当然ながら何事もなく普通に1時間半ほどで通り抜けました。

あまりビクビクしてるのもバカらしいので,その後は気にせず普通にまたその道を通るようになりましたが,それ以来一度もそのような出来事には遭ってません。山間部なので霧が出ている時はありましたが,あの時ほど濃い霧に遭うこともありませんでした。

濃霧,そのものについては,普通にクルマに乗ってればたまに遭遇することがあります。しかしあんな妙な恐怖感というか,腹のそこからこみ上げてくる戦慄を感じる濃霧はありません。ただの濃い霧です。速度を落として気をつけて走ればいいだけのことです。


あれは何だったのか。

お話の世界では,神隠しなどの怪異現象の際によく「濃霧」が登場します。人の視界を奪い,方向感覚を狂わせる濃霧は,古来恐怖の対象になっていたのでしょう。

また,てんかんや低血糖などの原因で意識減弱状態(意識がもうろうとした状態)になっている際に,本人は濃霧の中を彷徨っているような経験をしている,とする報告もあります。

したがって,本人が何らかの病気で意識減弱状態になって彷徨ううちに行方不明になったり,思いも寄らぬところで見つかったりしたのが「神隠し」とされていたケースもあるだろうとも言われています。


それに照らし合わせておとーさんの体験を振り返ってみると。

確かにこれまで経験のないような非現実的な濃霧でしたし,最も濃い霧にまかれている間,誰とも会わず対向車も全く来ないというのは奇妙です。イナカの国道といっても交通量はゼロではありませんから,普段なら深夜でもたまに対向車とすれ違います。

また何よりも不思議なのは全く自覚なく6-7時間もの時間が経過していたことです。これは普通ではどう考えてもあり得ない話です。おとーさんの頭が停止していたか,コマ落ち状態になっていたとしか説明がつきません。

おとーさんは病気なのか?


いやしかし,おとーさんにてんかんの既往はありませんし,血糖の異常や意識障害を起こすような病気もありません。何かのお薬を服用してた事実もないですし,もちろん飲酒もしてません。

おとーさんはその後,精神科医になりました。また,たまたま脳波を使った大脳生理の研究グループにいましたので日常的に自分自身の脳波を見てましたが,一度もてんかん性の異常所見は見ていません。因みに,目を皿のようにして見れば,全くの健康な人の脳波にも結構な割合で異常所見は見つかるものです。

20歳前後でてんかんが発症することは珍しくありません。意識減弱をメインの発作型とするようなケースもあります。脳波に異常が現れないケースもあります。ただ,発作を繰り返すことがてんかんの診断の必要条件。同じような経験を二度としていないおとーさんの場合,いずれにせよてんかんの診断はつきません。

脳波の研究をしていた縁で,おとーさんは母校の大学病院のてんかん専門外来を担当していたこともあります。いい加減な知識や経験でこんなことを語っているのではありませんよ。


また濃霧の中にいた時のおとーさんは恐怖感で戦慄した状態にありました。意識は極めて明瞭です。途中で起こった出来事を鮮明に覚えています。決してぼやーっとした意識朦朧の状態にあったわけではありません。特徴あるいくつかのコーナーを通過したのを思えていますし,途中の交差点や集落を通過した時の記憶もはっきりしてます。

「実は路肩にクルマを停めてぐーぐー寝てた」とかなら必ずその前後の記憶も残りますし,意識に不連続な点ができます。意識が途切れた自覚は全くありません。クルマを停めた記憶もありません。むしろクルマを停めるのが怖くって必死で突っ走ってましたから。

また,そのような悪天候の中,記憶も定かでないような意識朦朧の状態でクルマをどこにもぶつけずに何時間も走らせられるでしょうか? おんぼろパルサーは最初から傷だらけでしたけど,新たに出来た傷は全くありませんでした。


これらをまとめると。

20歳の健康な青年が突然6-7時間も持続する意識減弱状態を呈する。悪天候の中,クルマを運転している状態で,まったくどこにもかすったりぶつかったりせず。しかもそのようなエピソードは人生で一度きり...これは医学的に見ても極めて可能性の低い現象なんです。


じゃあ,あれはいったい何だったのか。

あの夜,たまたま異界の入り口が開いていて,おとーさんはそこにのみ込まれかけたのか。

現世とは時間の進み方の違う異界の峠道を走ってきたのか。

もしそうなら,なぜ戻ってこれたのか。なぜ助かったのか。何かが助けてくれたのか。

もし走り抜けてしまわず,途中で引き返していたらどうなっていたのか。




...分かりません。


答えはまさに「五里霧中」です。






<真夏の夜の物語 2013 〜その2〜に続く>



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