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山へ行こう 〜その2〜




芥川龍之介の「河童」という小説はご存知でしょうか。

芥川が睡眠薬自殺をする直前の作品で,一般には文明批判的な作品として知られますが,内容は戯画的で軽いものにもかかわらず何とも言えない暗さと閉塞感が漂っており,読んでいるとこちらまで沈鬱な気分になってくる不思議な作品です。


中学から高校にかけて,おとーさんもずい分と心病んでいた時期がありました。

前述のようにインテリぶったスカした父親に,教師上がりでいささかエキセントリックな母親。その長男として生まれたおとーさんは,感受性が強いばかりで身体は弱く頭はすこぶる悪く,両親の過大な期待に全く応えることのできない,といって徹底的に反抗してツッパることもできない,ひたすらボンクラな少年でした。荒れる学校にも,母親が目を三角にして勉強勉強と怒鳴る家庭にも,ボンクラの居場所はありませんでした。

それでも,一寸の虫にも五分の魂,ボンクラにはボンクラの魂。深夜にこっそり家を抜け出し,ワンカップやスカイラーク片手に(昔は深夜でも自販機で買えましたね)自分の居場所を探して彷徨うおとーさんにも心許せる友人がいました。それは音楽と文学。特に芥川や太宰など心を病んだり自ら命を絶った作家の晩年の作品には強く心を惹きつけられました。

心を病むってどういうことだろう。狂気ってどういうことだろう。
逆に,正気ってどういうことだろう。人の精神って,心ってどういうものなんだろう。

この「河童」の中でも,人間の戯画的存在である河童達が心を病んだり自殺をしたりする様が描かれています。何よりもこの物語を語る主人公は精神病院の入院患者「第二十三号」です。この暗い暗い小説を何度も読み返しながら,当時のおとーさんは人間の精神の彼岸について思いを馳せたものです。

...そしてその後いろいろあっておとーさんは結局精神科医をやっているわけですが,それはまあそれ。その「河童」に描かれた河童の国があるのがここ上高地,今回の旅の2日目の目的地なわけです。いつもながら前置き長ぁ。


・・・・・・

上高地は北アルプスは穂高連峰から流れ出した梓川の流域に広がる細長い土地で,北アルプス登山のベース地としてだけでなく風光明媚な温泉地,保養地として知られます。標高は約1500m,松本からも40〜50km山の中に分け入った場所にありますから芥川の時代にはまさに秘境,人外境といっていい地だったでしょう。

しかし人間の開発力には凄まじいものがあり,芥川が「河童」を発表した昭和2年の数年後には路線バスが開通し,帝国ホテルが開業しています。戦後すぐに特別名勝,特別天然記念物に指定されていますが,その後もどんどん観光地として開発が進み,貴重な自然の破壊が問題とされました。

そして昭和50年,他の観光地に先駆けて夏場の「マイカー規制」を導入。その後マイカー規制は段階を経て強化され,数年前からこの上高地には1年を通じて一切マイカーは進入できなくなりました。入れるのはタクシーと観光バスだけで,しかもその観光バスですらいろいろと厳しい制限が設けられているという徹底ぶり。国道から上高地に分岐するところにある「釜トンネル」の入り口には関所のようなところがあり一般車両は確実に追い返されます。

いやまあ,上高地自体が特別天然記念物っていうぐらいですからこれぐらいやって当然でしょう。あの美ヶ原ビーナスラインのクルマと2輪の大行列を思えば,ウチのオヤジのしかめ面を思い出せば,そう思えてきます。


しかしこの地に観光に行こうと思うと不便は不便です。直接乗り入れる列車などはなく,マイカーもダメとなると,タクシーか定期観光バス,路線バスに乗るしかありません。どうしてもマイカーで行きたければ,国道沿いのちょっと手前にある島々という集落にシャトルバスの乗り換え場所があり,ここの駐車場にクルマを停めてあとはバスで行く,ということになります。

しかしお盆の繁忙期ともなると駐車場もシャトルバスも大混雑するに決まってます。駐車場にクルマを停めるのに数時間,シャトルバスを待って数時間,なんてのもかないません。

...実はそれもあって,宿を決めました。おとーさん一家が泊まった宿からちょうど上高地行きの観光バスが出るんです。いつもどこへ行くのもマイカーでぴゅーっと行ってしまう不惑家ですが,たまには観光バスに揺られてのんびり上高地もいいじゃないですか。


・・・・・・

ということでホテル前から出る観光バスに乗り込んでガタゴト揺られること2時間ちょっと。国道から分岐してトンネルを通り,離合が難しいぐらいの細い山道をしばし走ってバスは上高地の一番下流側にある大正池に到着。おとーさん達はここで降りて上高地中央部まで梓川を遡りながら散策を楽しもうという一般的な観光プラン。


大正池から焼岳を臨む
これが焼岳(画像をクリックすると大きい画像を表示します)



この大正池というのは,穂高連峰の南にある活火山,焼岳から流れ出た溶岩が梓川をせき止めてできた池で,文字通り大正時代に新しくできたもの。立ち枯れた白樺の樹で有名ですな(このページの一番上の写真がそれです)。

ただもともとこの上高地自体が,はるか昔に焼岳によってできた大正池よりももっと大きな湖が堆積物によって徐々に埋まってできたものだそうです。大正池でこれですから,当時はさぞかし美しい風景だったでしょうね。


さて,この大正池から散策路を歩いて上高地の中心部の方に歩いていきます。道は白樺が目立つ雑木林の中を梓川にそって通っています。下生えは熊笹が主。芥川の「河童」の中で,主人公が河童に出会った場面が思い出されます。

熊笹に覆われた梓川ぞいの散策道 てくてく歩きます
※画像をクリックすると大きい画像を表示します


しかし人が多い(汗)。

散策道もぞろぞろ人が歩いており,芥川の描写にあるような「人里離れた」というイメージは全く感じられません。日曜日のそこいらの郊外のハイキングコースそのものです。

しかもまあ,悲しいことにマナーの悪い親子連れの多いこと...

いやまあ,おとーさんもマナー云々を言うような出来た人間ではありませんがね,それでも「ここは国定公園。草木一つ,石一つ,取ったり持ち帰ったりはできません」とあちこちに書いてあるにもかかわらず,平気で熊笹の葉をぶちぶちちぎって笹舟を作る親子,大正池では石投げに興ずる親子,野猿を見かけるととりあえず我が子に餌をやらせてそれをビデオに撮ろうとする親...見てると悲しくなります。いや,悪気はないんでしょうけど,目の前の看板に書いてあるじゃん,ダメだって。

ウチのオヤジがここにいたら間違いなく「ちょっと!」と声をかけて説教たれてるでしょう。いや...これだけ数が多いとさすがに呆れて何も言わないかな。

悲しいのは親子連れってことですね。こうやって育った子供は何の疑問も持たずまた同じことをするでしょう。そうやって代々引き継がれて行くんですね...悪気はないんでしょうけど。


何だか昨日の美ヶ原と同じようなちょっと物悲しい気分になりながらも道は上高地の中央部にある「河童橋」にたどり着きます。

これが河童橋
これが河童橋(画像をクリックすると大きい画像を表示します)



なかなか雰囲気のある木製のつり橋です。梓川は増水時にはものすごい急流になるためつり橋じゃないともたないんだそうな。

この河童橋は芥川の「河童」の中にも登場します。芥川が上高地を河童の国の場所に選んだのはこの河童橋に影響されたんじゃないかと言われてますね。その時,急に天気が崩れてパラパラ雨が降り出したため,橋の上にも傘の花がいっぱいです。


近所のホテルで雨宿りがてら昼食をいただいてるうちに空が明るくなり雨も小降りになりました。さあ帝国ホテルまで歩いて行ってオミヤゲを買いましょう。


ちょうちょ いわな?
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雨上がりの散策道は自然にあふれてます。雨のせいで観光客はぞろぞろと帰り支度に入り,辺りはちょっとだけ人口密度が減ってホッとします。虫も魚も安心して姿を現してくれます。

しかし蝶の写真を撮ろうとして一歩二歩,雑木林の中に足を踏み入れてシャッターを押した後,気がつきました。

足元に小さなスミレのような花が咲いていたのをしっかり踏みつけてしまってました...(泣)


いや,悪気はなかったんですよ。写真撮ろうとしただけ。

でも...これも先ほどの親子連れが熊笹の葉っぱをぶちぶちちぎってるのと五十歩百歩かもしれない。十分に気をつけてても,人間がこうやって山に足を踏み入れることは,それだけでもささやかな自然破壊になるのかもしれない...熊笹の陰から河童がじっとこちらを睨んでるような気がしました。


山は大好きですよ。でも山に入るだけで自然破壊になってしまうのなら山には近づけない。じゃあ一切,山に入らなければいいのか? でもそれもちょっと違う気がする。

ヨーロッパ風のちょっと厳しい建物,帝国ホテルで実家へのオミヤゲを買いながらも考え込むおとーさんなのでした。ウチのクソ親父なら何て言うだろう。

上高地帝国ホテル
帝国ホテル(画像をクリックすると大きい画像を表示します)



・・・・・・

また観光バスに揺られてホテルに帰り,温泉につかって晩飯を食べて...ゆっくり眠って早めに起きたら,もうこの旅行も最終日です。

最終日の目的地は...そう黒部ダム,通称「黒四ダム」です。

まさに人里離れた立山連峰の深い深い渓谷に作られた日本最大の建造物。

難工事に次ぐ難工事で殉職者は171名にも上る,高度経済成長時代の一大プロジェクト。

当時の日本の土木技術の結晶でもあり,そしてまた自然破壊の代名詞でもある巨大ダム。

おとーさん,ずっとずっと前から一度この目で見たかったんですよ。
嫁さんや子供達はあんまり興味なさげでしたがね(笑)。


ホテルをチェックアウトし,クルマを松本から北へ北へ走らせます。そして途中から西に進路をとり,山の中へ分け入って行きます。ナビと「黒部ダム」という看板を頼りに山を上っていったところに,黒部ダムに向かう「トロリーバス」の駅が見えてきます。

ここからダムの建造時に作られた長い長いトンネルをくぐって黒部ダムに上り,さらにそこからケーブルやロープウェイで立山を富山側に抜けることができます。いわゆる「立山黒部アルペンルート」です。この扇沢駅というのがそのルートの長野側の登山口になるわけです。

ここも,マイカーでの乗り入れは禁止です。この扇沢駅にクルマを置いて,トロリーバスに乗り換えて山に入って行くことになります。まだ9時過ぎですがもう駐車場はクルマでいっぱい。


扇沢駅 駐車場はクルマいっぱい
※画像をクリックすると大きい画像を表示します


トロリーバスは電車のように架線からの電力でモーターを回して走るバスです。見た目はバスのような電車のような不思議な雰囲気ですが,中はごく普通のバスです。たぶん通常のバス車両を改造したものと思われます。


これがトロリーバス
これがトロリーバス



ダムまでのトンネルは5.4kmとかなり長く,これを当時の技術で掘り抜くのは大変だっただろうと素人でも想像がつきます。特に破砕帯という地層では氷点下の水が滝のように噴出し,ここで何人もの犠牲者が出たそうです。

ここを人智を絞りに絞って少しずつ掘り進め,ついに渓谷までのトンネルをぶち抜いた過程は,全然分野と時代が違いますが「はやぶさ」の快挙を思い起こさせます。やっぱ日本人は根性あるよ。他の国だったらとっとと諦めて別の所にダム作るでしょう,間違いなく。

トンネル内でバスを下り,しばし歩くと前方が明るくなり,トンネルを出ると一気に眼前に立山連峰の眺めが広がります。


黒部ダムより立山を臨む
黒部ダムより立山を臨む(画像をクリックすると大きい画像を表示します)



トンネルから出てきて一気にこの眺めですから,思わずおおおー!と声が出ます。まるで演出として設定されたかのような,ベートーベンの交響曲第5番で第3楽章から第4楽章に突入したドミソの3和音のような,そんな壮大さです(よう分からん)。


・・・・・・

そしてダムは...デカいです。ひたすらデカいです。

しかしよくこんなデカいモンをこんなとんでもない山奥に作ったな,と呆れるぐらいのデカさです。その壮大さは目の前の立山に負けてません。


黒部ダム
人間が砂粒のような大きさです(画像をクリックすると大きい画像を表示します)



黒部ダム放水中
放水でキレイな虹がかかってます(画像をクリックすると大きい画像を表示します)



昭和20年代後半から30年代。高度経済成長に突入した日本では電力需要が膨張し,特に関西地方では深刻な電力不足に見舞われました。火力発電ではとうてい追いつかず,まだ原子力はなく,大規模な水力発電所の建造がどうしても必要になったといいます。そのために関西電力が社運をかけて取り組んだのがこの黒部ダムの開発でした。

何度も映画になっているこの世紀の大プロジェクトも,見方を変えれば世紀の巨大自然破壊プロジェクトです。このダムの建造によって黒部渓谷の自然環境はものすごい変化を被ったことは間違いありません。


しかしこのダムの上に立って立山連峰を眺めてるうちに,この2-3日間ずっとおとーさんの心の中にモヤモヤしてたものがすーっと晴れてくるのを感じました。

それでも人は生きている。

上から見るとこんなにちっぽけな,砂粒みたいな生き物が,こんなにでっかいものを作ってる。

いや,そりゃどんなにキレイごとを言ったって,絶対に自然を破壊してるだろ。

でも,それでも,ちょっとでも空気を汚さないようにマイカー乗り入れを規制して,トロリーバスなんて微妙な乗り物に乗り換えてここまで上がってきてるじゃないか。

上高地だってそう。そりゃどんなに気をつけたって人間が生きてる限り自然を変えたり壊したりはしてるだろう。でもそれを最小限にしようとはしてるじゃないか。

人も自然の一部。となれば,人が生きてる限り自然と影響し合うことは避けられない。

自分だけ「私は自然に何も影響を与えてません。ナチュラリストですから」なんてのは偽善。そんなこと絶対にあり得ない。


映画"マトリックス"の中でエージェント・スミスがモーフィアスに言います。「キミ達人類はウイルスだ。地球に巣食う病原菌だ」。今のおとーさんなら言い返します。「いや,ウイルスも地球の一部であり,地球と影響を与え合って生きてるんだ」。

あの世で親父が苦笑いしてるかもしれません。熊笹の陰で嘴の腐った河童が呆れたような表情を浮かべてるかもしれません。でもこれが自然破壊息子の答えのような気がします。

それでも人は生きている。


人間が生きてる限り,周りの自然に影響を与えることは避けられない。となれば,「影響を与えません」なんて偽善ぶっこくより,影響を与えてることは自覚しつつ,なるべく「悪影響」を少なくするように努力しようじゃないか。それでいいじゃないか。


帰り際にもう一度振り返ったおとーさんの目に,立山の残雪の白さが痛く沁みます。

すまんね。少々空気を汚したかもしれんけど,また来るよ。
好きなんよ。山が好きなんよ。
またこのちっぽけなオヤジに影響を与えてくれや。


気がつくと嫁さんと子供達ははるか先まで歩いて行ってしまってます。
おお〜い,待ってくれやあ〜! 置いていくなやぁ〜!


そう,いつの世も家庭におけるオヤジの影響は最小限なんですなあ。チャンチャン。


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